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第1回 オーカニックコットンとの出会い

大久保

こんにちは。今日はよろしくお願いします。

宮嵜

こちらこそ、よろしくです。
あらたまってのあいさつも、なんだかね。
このあいだも会ったばかりだし。

大久保

ハハハ、まぁ一応記事になるので、とりあえず形を整えて...

宮嵜

いいんでしょ...いつもの口調で...かしこまると、顔がこわばってくるので。

大久保

しょうがないなぁ...今日は脱線しないで、まじめな話を頼みます。

宮嵜

それは了解です...あまり自信がないけど...
だけど、大久保さんとは長いねぇ...付き合って、もう30年こえてるよね。

大久保

そんなになるかなぁ...
感慨にふけりたいところだけど、さっそく今日のテーマにはいります。
<オーガニックコットン事業の魅力>というテーマで、起業を志す女性にとって
有益な参考になる話をしてもらいます。

宮嵜

オーガニックコットン事業の魅力については、1日中語っても語りつくせないけど...

大久保

それは当然でしょう。
オーガニックコットンのエバンジェリストと呼ばれているのだから...
今日は、短時間に圧縮して、熱く、かつクールに語ってください。
あっちこっちで喋ってるんでしょう。

宮嵜

実務の合間に、頼まれればできるだけ話すようにしています。
セミナーや会員各社の社員向け教育や、その他いろいろ...
しかし、ここ数年、女性からの起業相談は多くなったね。
セミナーや展示会に来ていただいた女性から熱心な質問をよく受けるようになりました。
このあいだは、ハーバードでMBAをとった女性が突然やってきて、オーガニックコットンを
自分の天職にしたいので相談に乗ってほしいと言われて、ちょっと驚いた。
世の中が、というよりも、日本の女性が大きく変わりつつあると感じました。

大久保

なるほどね。
そういう変化の感触は、私も感じるな。
そういう話に入る前に、前提となる基本的な説明をまずお願いしましょうか。

宮嵜

はい。
なにから話せばいいのかな...

大久保

では、オーガニックコットンとの出会いから...

オーガニックコットンとの出会い

宮嵜

オーガニックコットンにはじめて出会ったのは、1992年ですね。
当時、私は家族とともにロサンゼルスに住んでいました。
現地の日本企業向けにマーケティング事業を行っていました。
そこに、日本から一枚のFAXが飛び込んできました。
「無農薬で育てた綿がカリフォルニアにあるはずなので調べてほしい」という内容でした。
それが、大久保さんからのFAXでした。
この一枚のFAXで、私の人生は大きく狂ってしまいました!
それまでのビジネスキャリアをすべて捨てて、新たな未知の分野に入ることになったのです。

大久保

ハハハ、そう来ましたか、
そう言われると、たしかに、すこし責任を感じますね。
続けてください...

宮嵜

それまで、コットンについては、毎日着ているのに、ほとんど何も考えていなかった。
大久保さんからの話ということもあって、最初は気楽に引き受けたんです。
「ロサンゼルスからサンフランシスコに向かっていくと、両側に綿畑があったなあ」
という程度の記憶を頼りに行ってみることにした。
綿畑を見て回ってオーガニックの農場を捜してゆくと
『カリフォルニア・オーガニック・ファーム』という名前の農場があった。
そこで、農場主のダンカンさんからオーガニックコットンの話を聞いた。
それがオーガニックコットン初体験ですね。

大久保

その後、随分いろんなところを調べたよね。

宮嵜

そうですね。
いろいろ調べてゆくうちに、オーガニックコットンビジネスのキーパーソンに出会ったんです。
ジョージ・エイカーズです。

オーガニックコットンを一手に買って、Tシャツやズボンなどに製品化して、
オーガニック(organic)の『O (オー) 』をとり、「Oウェア」というブランドで事業展開していた。
事業の一環として、サンタモニカのフレッドシーガルというセレクトショップの中に、
オーガニックコットンコーナーを出しているという事がわかり、
エイカーズさんに会いに行きました。

話を聞くと、「アメリカには、野菜とか食品、服などいろんな分野にわたって、
オーガニックを好んで買う人たちがいるので、そういう層をターゲットに
オーガニックコットン製品を作っている」と言う。

ただ、そういうものが売れていた地域は限定されていて、
そのサンタモニカ地域とか、アーティストやインテリが多く住む街パサデナとか
ニューポートビーチだと言っていた。
金持ちが住むビバリーヒルズではそれほどでもないというのが意外だったな。

店には、漂白も染色も何もしていない生成りのままの製品がずらっと並んでいて、
例えばシーツなんかだと、1枚が120ドルくらいしていた。
「普通のスーパーマーケットでは、シーツは1枚10ドルとか15ドルとかで売っているが、
10倍もの値段で売れるのか?」と聞くと、「問題ないよ、よく売れてる」
と当然のように答えていた。

1990年代初頭、ライフスタイルとしてエコロジーとか健康などを考える、
ロハス(LOHAS)志向の人たちが、すでにアメリカには沢山いて、
市場が成り立ちはじめていたんだね。

大久保

エイカーズさんは、オーガニックコットンのビジネスモデルをつくった先駆者のひとりだね。
当時、私も彼のやり方を研究して、日本でも可能性があるのかどうかを随分試行錯誤した。
その後、米国の代表的企業と独占契約を結んだでしょう。

宮嵜

ノースカロライナ州のドラン・テキスタイル社ですね。
オーガニックコットン専業では当時世界最大と言われていた。
有機綿の栽培農場の管理から製造・販売まで一手に扱っていたところです。
1991年9月に同社を訪問したけど、広大な敷地に近代的な建物とレンガ造りの歴史的な建物が点在していたのが印象的だった。
ここと日本向けの独占契約を結んだ。
日本の大手商社も触手を伸ばしていたが、こちらを選んでくれた。
この契約をきっかけにして、オーガニックコットンビジネスに完全に飛び込んだわけです。

大久保

この独占契約には、日本の会社が絡んでいたね。

宮嵜

そうです。
日本サイドで輸入販売してくれる会社があって、日本で本格的に事業展開しようということになった。
それで、家も売って米国永住権も放棄して、家族5人で日本に帰国することになりました。

大久保

帰国は何年?

宮嵜

1993年。
米国から持ち帰ったオーガニックコットンの生地の山を前にして、
不安と期待が胸いっぱいだったなぁ。

大久保

帰国して、まず組織作りをしたね。

宮嵜

大久保さんと議論を重ねて、私的なビジネスではなく、公的な性格の活動をしていこうということになり、それにふさわしい組織名称を考えた。
日本オーガニックコットン流通機構です。
名付け親は大久保さん。
この名称は、協会という案も出たけど、市場形成のための<チャネル・プラットフォーム>を
構築するという考え方で<流通機構>とした。
<NIPPON ORGANIC COTTON>の略で、NOCを通称にしました。

大久保

ようやく設立まで来たけど、この調子だと物語が終わらないね。
読者から、おじさんたちの昔話にはつきあってられないよ、と言われそうなので、
話は一挙に現在に飛びます。




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