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人事制度改革アドバイス・マーケティング事業

都道府県愛知県 年代30代 業種コンサルタント
 有限会社エスプリ・マネジメント
[ 取締役社長 ]
伊藤 麻美 さん

伊藤麻美さんは、前職時代、女性の能力が正当に評価されない現実に直面した経験から、人事制度改革の中でも女性のキャリア活用に関するアドバイスに注力。また、中部地方の女性を集めたマーケティング事業にも着手しています。

起業したとき

仕事の経験
結婚
子ども
生かした していた いなかった

プロフィール

大学卒業後、広島県内の大手旅行会社に入社。会社の業績アップに貢献しても、正当に評価されない待遇の男女格差という現実に直面し、ビジネスや経済に関する勉強をスタート。その中で企業年金制度「日本版401K」(*)の導入を知り、ビジネスチャンスを感じる。2000年、社会保険労務士の資格を取得し、愛知県内で起業。2005年に有限会社エスプリ・マネジメントとして法人化。女性の異業種交流会や、中部地区の女性限定SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を創設・運営するなど、女性が能力を発揮できる社会づくりを信念に活動している。

起業年表

年齢 西暦 主な活動
22歳
1992年
大学を卒業し、旅行会社に入社 
30歳 2000年 社会保険労務士の資格を取得し、旅行会社を退職。結婚を機に愛知県名古屋市に移転  
32歳 2002年 社会保険労務士として起業。女性の異業種交流会「ドリシェdreamsharing(以下ドリシェ)」を結成し、代表に就任 
35歳 2005年 有限会社エスプリ・マネジメントとして法人化 
37歳 2007年 中部地区の女性起業家100人の出版企画「ウィメンズドリームプロジェクト」の中心メンバーとして活動し、『やりたい仕事で幸せになる!』(あさ出版)を共著で出版。 この共著メンバー100人の交流継続企画として、中部地区の女性限定SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)「ビタ☆ショコ.com」を創設 
38歳 2008年 「ビタ☆ショコ.com」創設から1年で620人の女性組織に拡大し、この女性たちを生かしたマーケティング事業や広告事業にも着手している 

起業ストーリー

女性のキャリアを生かし、賢い女性を育て、賢い日本に!

「中小企業の永続のために」という理念を掲げ、人事制度改革アドバイスを中心に行う伊藤麻美さんは、女性社員が長く働きやすい会社にするための制度づくりに力を入れています。また、中部地方の女性600人以上をネットワークしたマーケティング事業もスタートしました。「女性の輪を広げて、賢い女性を増やし、賢い日本をつくりたい」という使命感が伊藤さんを支えています。その根源には、男女の待遇格差による、悔しい思いがありました。「立身出世を目指して、広島県内の大手旅行会社に入社し、総務以外の職種はすべて経験しました。会社の業績にも貢献してきた自負がありましたが、どれだけ数字を上げても、数字の低い後輩の男性のほうが出世していきました。会社本部から転属の打診をもらっていたのですが、支店の稼ぎを担っていたので支店長から転属許可が降りなかったり……。それで、いつしか独立を考えるようになっていきました」。

起業へと伊藤さんの背中を押したのは、社内ベンチャーを創出するための社内ビジネスプランコンテストでのこと。コンテストの2次審査で面接官に、提案した事業の事業計画や収支計画を矢継ぎ早に聞かれた際、まるで返答ができない自分にショックを受けます。「いかに私は、経済観念や社会経済の知識が欠けていたかと思い知りました。本当に悔しかった。それでビジネスや経済に関する勉強を始めたのです」。その学びを通じて、伊藤さんは企業年金制度「日本版401K」(*)の存在を知り、その制度のエキスパートとして独立したいと考えます。勤めながら社会保険労務士の資格取得の勉強をして、取得と同時に退職。結婚を機に名古屋市に移転し、2002年に起業します。しかし、移り住んだ名古屋には、知人も、頼る相手もいなかったのです。

地の利のない土地で起業し、女性のビジネス異業種交流会を旗揚げ

人脈のない土地での起業。不安を募らせた伊藤さんは、様々なビジネス異業種交流会に積極的に参加します。そして、自分が考える事業がビジネスとして成り立つかどうか、先輩起業家にヒヤリングしたりと交流会をうまく活用していきました。「でも、様々な交流会に参加して感じたのは、圧倒的に男性主導の会が多いということ。中には、家事や育児を両立させてがんばっている女性起業家を理解できない方もいたので、なんとなく女性同士で集まるようになっていったのです。それで、女性が警戒心を持つことなく、安心して集まれる場をつくりたいと考えるようになりました」。伊藤さんは起業3ヶ月後、女性の異業種交流会『ドリシェ』を結成。女性起業家は女性をターゲットにしたビジネスを行う人が多いため、互いに商材を紹介し合ったり、共同で商材を仕入れたり、事業提携して共にビジネスを行ったりと、協力関係を構築しました。伊藤さん自身も「士業」を行うメンバーと連帯し、顧客である中小企業に紹介し合うなどして、顧客からの様々な相談に受けられる態勢になっていきました。

「以前、海外製サプリメントで死者が出た事件がありましたが、あの被害に遭ったほとんどが女性ですよね。交流会のメンバーにも事件があった同じ国のサプリメントを販売しているというだけで、風評被害に遭っていました。大手企業なら簡単にリカバーできても、中小企業や個人事業では販促をいくらがんばっても難しい局面もあります。また、ネットショップの活用も女性が多いですが、女性は情報に対する判断力が弱い面がありますし、勤務時代は敏感だった判断力が、出産などで社会と切り離された環境になると弱くなるケースも多い。女性は消費者としても、経営者としても弱いのです」。サプリメントの事件があった時、ネットワークを組み、共に勉強することの大切さを改めて知った伊藤さん。そんな社会的に弱い立場である女性や中小企業を応援したいという気持ちが、冒頭に上げた理念や使命感へとつながっていったのでした。

女性600人以上をネットワークし、経営者へと脱皮する時期を迎える

2006年、中部地方の女性起業家100人による共著の書籍を出版しようとするムーブメントが起こります。そこに伊藤さんも中心メンバーとして参画。100人の女性起業家集めから、メンバーの取りまとめ、出版社探しなどを行い、翌年、共著『やりたい仕事で幸せになる!』を出版。大手書店で人気ランキング1位も獲得しました。「せっかく志の高い中部地方の女性が100人も集まったのに、出版したから解散、ではもったいないですよね」。そこで、伊藤さんは共著者100人が交流を継続できる場を設けたいと、中部地区の女性限定SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)「ビタ☆ショコ.com」を開設しました。起業家に限定せず、中部の女性が集まるSNSという珍しさもあり、女性たちが集まり始めます。そして開設から1年間で、メンバーは620人(2008年8月時点)に拡大。このメンバーたちの能力をもっと生かし、女性が羽ばたけるフィールドを広げたいと、SNSメンバーの女性を活用したマーケティング事業や、SNSへのインターネット広告サービス事業もスタートさせました。「事業をしていくうちに、自分は人を集めるのが得意なのだとわかってきました。仕事というのは役割分担ですから、人を集めることを私が代行できるチャンスをもらえたのだなと思います」。

これまで、伊藤さんはひとりで社会保険労務士業を行い、交流会やSNSは仕事外の活動として行ってきました。しかし、SNSに関わる活動が事業に発展した今、組織を動かす立場に。「フリーの身から経営者に脱皮しなくてはいけないのですが、まだまだな自分が不甲斐なくて。でも、自分のために損得を考えて働くことももちろんありますが、自分がこの世に生まれてきた意味を考えると、授かった能力を生かして、人や社会のためになることをしなければと思うのです。女性の輪をつくる。これは私が生きているうちにやらなくてはいけない使命。そのためには、早く経営者に育たなくてはと思いますし、『自分、生きてるなー』って感じますね」と笑いながらも、しみじみと語ってくれました。伊藤さんがつくった女性たちの笑顔の輪が、日本中へと伝播していく日も、そう遠くないはずです。

*日本版401K…確定拠出型年金の一種。個人や企業が掛け金を積み立て、加入者自身の運用成績によって、受け取る金額が増減するタイプの年金制度のこと

会社概要

会社(団体)名 有限会社エスプリ・マネジメント
URL http://bita-choco.com
創業 2002年5月1日
設立 2005年7月25日
業務内容 人事制度改革アドバイス・マーケティングなど

(伊藤 麻美さんの場合)

起業のきっかけ、動機

もともとキャリア志向だったこともあり、広島で勤めていた旅行会社では、「立身出世」を目指していました。しかし、いくら会社の業績アップに貢献しても、後輩の男性が自分よりも先にキャリアアップしていくなど、男女の待遇格差に幻滅する事柄がたくさんありました。そんな状況だったので、いつからか「自分の力を独立して試したい」と思うように。決定的だったのは、社内ベンチャーを創出するための社内ビジネスプランコンテスト。私は2次審査まで行けたのですが、その2次審査での面接官とのやり取りを通して、いかに自分は経済観念や社会経済の知識が乏しいのかと思い知りました。もちろん2次審査には通るはずもなかったのですが、その経験から 「負けたくない!」と思った私は、ビジネス誌や経済誌を読みあさるなどの勉強をスタート。その中で企業年金制度「日本版401K」(*)を知り、社会保険労務士資格を取得して、その制度のエキスパートとして独立したい!という夢を持つようになりました。現在は、人事制度改革と、女性のキャリアデザインに関わる事業に注力していますが、起業当時はとにかく「日本版401K」(*)の専門家を目指していましたね。

起業までに準備したこと

当時は、企業年金制度「日本版401K」(*)のエキスパートを目指していたので、そのアドバイザーになるには社会保険労務士の資格が必要なため、この資格を働きながら取得しました。また、このアドバイザーとしてビジネスが成り立つかどうか、異業種交流会で会ったファイナンシャルプランナーを行っている先輩などに聞きました。しかし、準備として行ったのはこれくらいで、今思えば完全に不十分。「日本版401K」(*)が今後伸びていくだろうという自信だけで、行き当たりばったりで起業してしまったと思います。だから、回り道もたくさんしましたが、その回り道さえも自分には必要だったのだと、今では前向きにとらえています。

起業時に一番苦労したこと

結婚を機に、地縁も人脈もない名古屋に移転し、起業したので、とにかく不安でつらかったです。現在、起業6年にして、約6000人の方と名刺交換をさせていただきましたが、起業して3年間は、とにかくありとあらゆる異業種交流会に顔を出して、「伊藤麻美を知ってもらう活動」に勤しむことで、人脈構築を行っていきました。

だからうまく起業できた!…その一番の理由

うまく起業できたとは、いまだに思っていません。準備も努力も足りませんでした。でも「絶対にこの生き方をあきらめない!」という意志と、「中小企業の永続のために」という企業理念、「女性の輪をつくって賢い女性を増やし、日本を賢い国にする」という自分自身の使命に、回り道をしながらも気づくことができたことで、辞めないでやってこられたという自負はあります。そして、地の利も人脈もない土地で起業したからこそ、気力と気迫で動き回れたと思いますので、今では知らない土地で起業してよかったと思っています。お金があると怠けますし、友人がたくさんいると思うと「きっと助けてもらえる」と努力を怠りがちですし、助けてくれない友人をうらんだりしたかもしれませんから。

起業時の環境(友人や家族の協力他)

起業当時、結婚していたのですが、夫もその家族も助けてくれるというよりは「放置」に近かったかもしれません。夫も自営業をしていたので、私にかまってられないというのが本当のところだったと思います。 ただ、私が事業をしても怒られることはなかったですし、家事を途中から放棄してしまった時も了解していたので、そういう意味では協力的だったのかも。私の両親は精神的にも金銭的にも助けてくれました。やはり、そこは親。心から感謝しています。友人は名古屋に来てからの友人ばかりで、起業当初は「友人」というより「知り合い」という人がほとんどだったので、ビジネスライクに協力し合うことはありました。その後、様々な異業種交流会に参加する中で、女性が集まれる場をつくりたいと女性の異業種交流会「ドリシェ」を創設。それが現在の私の事業展開や、「女性の輪をつくって賢い女性を増やし、日本を賢くしたい」という使命につながっています。

最初のお客さんと営業方法

製造業の社長さんから退職金問題のコンサルティングの仕事をいただきました。この方とは異業種交流会で席が近かったことが最初の出会いでした。その後、封書の手紙を出し、出会いへの感謝を申し上げたことに感激してくださり、仕事をいただくことができました。

起業の際の重要ポイント

簡単な税務と、キャッシュフロー、営業手法、マーケティングといった最低限の起業基礎知識。自分の事業がビジネスとして成り立つかどうかの調査。異業種交流会への積極的な参加など人脈構築。この3つは重要です。もちろん私も行いましたが、それでも準備不足が否めませんでした。

役に立った情報源や相談先

ビジネス誌や業界向けのマニュアル本、あとはインターネット検索が情報源でしょうか。相談したのは、異業種交流会で知り合った社会保険労務士やファイナンシャルプランナーの先輩くらいです。

開業資金

個人事業として起業した当初は、自宅兼オフィスでしたので、社会保険労務士としての登録料やFAX付き電話機の購入などで40万円ほどです。それまでの貯蓄を活用しました。

活動拠点(事務所・店など)

名古屋市内にある「SOHOプラザ丸の内」というレンタルオフィスを活用しています。アクセスもよいですし、会議室なども借りられるので便利です。実は、スタッフを入れるつもりでこのオフィスを借りたのですが、結局まだひとりで活動中。拠点は自宅に切り換え、電話代行や会議室の利用、私書箱的な機能だけを「SOHOプラザ」に委託する「バーチャルオフィス」にしようかとも検討しています。

起業時の管理体制の整備(税理士、弁護士、弁理士など)

全くありませんでした。会社の設立も自分で行いました。税理士は法人化してから依頼しています。ただ、私が立ち上げた交流会「ドリシェ」や女性のSNS 「ビタ☆ショコ.com」には様々な士業の方がいるので、いざという時には依頼できる態勢があります。

起業後の転機

起業して1年くらいたった頃でしょうか。起業したことを後悔するような出来事があった時、経営者交流会の講演会で、後に上場した株式会社ティアの代表取締役社長の冨安徳久氏に出会ったことが、私の人生を大きく変えました。「プラス思考をクセにしなさい!そうしないと人生もったいない。どうせ起業したのだから、悔やむ時間はもったいない。それよりも今の苦労があるから、次に幸せな時間がより輝くんだ。苦労よ、ありがとう!と言える人になるよう、自分の考え方をプラスにくせづけしなさい」というメッセージをいただき、それまでと物事の見方が180度変わり、プラス思考になりました。今思えば、これまでの転機はすべて人との出会いからもたらされていると思います。

起業して自分が成長したと感じたこと

「経営=決断する」ということを日々行うことで、すべては自分の責任であり、自分の決断によって人生の方向を変えているのだということを、ここ2年くらいで受け入れることができるようになったこと。それが成長ですね。それにより、何か悪いことがあっても、人のせいにしたり、誰かをねたんだり、人と自分を比べたりということがなくなりましたね。すべては自分の決めたこと、誰のせいでもない。自分以上のことはできないし、自分にしかできないこともある。だからこそ、誰かと比べて自分を卑下することはナンセンスだと思います。また、「女性の輪をつくって賢い女性を増やし、日本を賢くしたい」という使命を見つけたことで「自分が今、死んだなら、そこまでの役割だったのだろう。生きることが許されているなら、まだやるべきことがあるということなのだろう」と、ある意味、達観して自分の人生を見つめることができるようになりました。そういったことから、少しは成長できたのではないか、と思っています。

起業を志す人への一言アドバイス

起業することは誰でもできますが「継続」することは簡単ではありません。苦しくても、大変なことがあっても、「続ける」という選択を取り続けること。その覚悟があるかどうかを、今一度、自分の心に向かって問いかけてみてください。また、その際は、自分の目指す事業スタイルに近い方々のお話をできる限りたくさん聞いて情報収集をしてから決断してください。「継続」はマーケティングに始まり、マーケティングに終わると言っても過言ではないと思います。ぜひ、たくさんの情報収集をして進めてください。

気分転換のしかた

友人と日帰りで温泉に行ったり、「ビタ☆ショコ.com」のメンバーなどと食事会を開いては、楽しく語り合ったりすることですね。

その他伝えたいことなど

本当にやりたいことであれば、苦労して自分で責任を負うことも、また楽しいはずです。しかし、起業は楽しいばかりではなく、苦しいこともつらいことも必ずありますが、事業を続けていくには厳しい局面も乗り切らないといけません。乗り越えるには、いつもプラス思考で進むことです。私にとって、そのクセをつけてくれたのが「起業」という生き方だったのだと思っています。どうぞ、いつもプラス思考で、笑顔で!


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